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母里太兵衛〜酒〜福岡  

博多駅前に立つ『母里太兵衛(もりたへえ)』の銅像が福岡のハチ公的シンボルです。
「酒は呑め呑め〜」の黒田節は有名ですが、なぜか幼稚園の頃この黒田節の舞をお遊戯会で踊らされた記憶があります。
福岡はまさにこの「酒は呑め呑め」という気風が蔓延している土地柄でした。



私が小学校1年生から高校生まで所属していた氏子組織は、
子供会から15歳で青年会へ繰り上がり「大人扱い」となるのが通例でした。
20歳くらいからは消防団のメンバーも兼任し、元旦は朝から町内の各家を回り、
一年の火の用心と無病息災を祈年して榊(さかき)を配り、「博多手一本」という独特の手締めをして回ります。

秋の例大祭の後も榊の枝を縁起ものとして地元の町の商家に配り回るのですが、
その際、大きな太鼓や鐘を吊るした直径15センチほどの太い天秤棒を、二人掛かりで担いで、
「ドンドン、カンカン」叩き鳴らしながら周ります。

これは15歳の秋に初めて青年会の新メンバーとして例大祭に参加した後のことですが、
行く先々で歓迎されて樽酒を振る舞われました。升一杯の酒を一気に飲んで「博多手一本」で締め。
再び太鼓を担いで次の商家へ。商家(ほとんど酒屋)によっては「樽酒はもう飲み飽きたろう?」と、
店の商品である贈答用のカミュ・ナポレオンなどのブランデーを振る舞われました。
それを一気に飲んで「博多手一本」そして次の商家へ。これを何度か繰り返しました。
升酒を4〜5杯、ナポレオン1杯、ヘネシー1杯。これが胃の中で混ざり、血中アルコール濃度は急上昇。
しかしこれで終わりません。地元の拠点の神社に帰って、そこから打ち上げが始まりました。
15歳の年は、私と遠縁の親戚のKくんの中学3年生組と一つ年上の高1組4人がこの年の新入りで、
「新入りはビール大瓶4本がノルマやけんな!」という声で打ち上げの宴が始まりました。
正直なところ酒の味は40代になった今でも完全には分かりません。
まして15歳の子供にとっては苦痛以外の何ものでもありません。


打ち上げが終わった頃にはもうみんなヘロヘロでした。
高1組の何人かは急性アルコール中毒寸前の状態で両親が担いで帰りました。
私とK君はなぜかいたって平気で翌日も学校へ行き、普通に過ごしていましたが、
時期は高校受験を控えた秋の一日です。普段は放課後学習塾へ通い受験に向けてそろそろ仕上げていく時期でした。
さすがに今はもうコンプライアンス上このような風習は無いと思います。今なら大問題になるでしょう。
しかしこの当時は「15歳=元服」というような感覚がまだ残っていたのでしょう。
16〜17歳からはもう父のお供で中洲のクラブに度々行ってました。親からしてこれですから。
まわりの大人も当たり前のようにどんどん飲ませます。
酒を飲んで何が楽しいのか全く理解できませんでしたが、
神事の寄り合いの酒量に比べたら、ウィスキーの薄めの水割り5〜6杯なんてなんでもありませんでした。
店の女の人たちも高校生相手に何をしゃべったらよいのか分からずやりにくそうでした。
帰りに大人びた店で大人っぽい洋服を買ってもらったり、
中華の老舗「點心世界」で中華ちまき(たぶん日本で一番美味しい!)を買ってもらうのが唯一楽しみでした。


こういった気風ですから飲酒運転に関しても「ゆるい」というか。
どこか寛容な空気があり、たぶん日常でみんなやってたと思います。
実は私自身も学生時代はやってました。酔えば酔うほど意外と慎重になっていたと自分では思うのですが、
あの悲劇が起きてからは、いつ加害者の立場になっていたかも分からず本当に危ない行為だったと思います。


2006年の海の中道飲酒運転事故は起こるべくして起こった事故です。
あの事故以来。このような風潮が社会問題となりすべてが変わりました。
福岡で父と会い、食事をして飲んだ場合、父は車を店の駐車場に置いてタクシーで帰るようになりました。
先日などは二人してノンアルコールビールです。


飲酒運転はもはや決してやってはいけないことですが、
私はこの「飲酒」+「車の運転」というこの行為自体より、
むしろ「飲酒」+「車の運転」で起こりえる事が想像できない、そしてその起こりえることに対して
責任を感じることが出来ない、未熟な人間が増えた事が問題なのではないかと思います。
とは言えみんながみんな慎重にやっていても、福岡の交通事情もバブル以降激変した以上、
このような悲劇を生むリスクは常にあり、いつかは悪習として改めなくてはいけなかったのだとも思います。




就職してからは飲酒の回数は減り、特に独立してからはインターネット回線の発達とともに、
人間関係も希薄になり、打ち合わせという名目で飲む機会は無くなりました。
飲まなくなるとアルコールに弱くなり、体質的にあまり受け付けなくなってきます。
普段は夕方6時に晩酌ではなく、緑茶と菓子パンをかじる毎日で妻からは子供扱い。
元旦のお神酒は奮発して大今醸にしましたが、わずかにおちょこ3杯。
芳醇な香りを嗅いで口に含むと確かに最初は美味しいとは思いますが、
量的には最大でも一合以上飲むと激しい頭痛に襲われます。

今日なんてコーヒー牛乳を飲んでいたら妻に「カッコ悪ぃ〜……」とあきれられました。
健康的には良いのかもしれませんが、もし可能ならば一度でいいから、
長法被に脚絆姿で大酒を飲み太鼓を叩いていた勇姿を妻に見せてみたいという気持ちもあります。
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